獣医療をひも解く心理学 〜Psychology for Veterinary care〜
自分の固定化された信念のためにペットを病気にしてしまう飼い主が時に存在します。ペットを可愛がるあまり、自分の価値観をペットに押し付けすぎて、適切な飼育を行うことができず、病気にしてしまう飼い主です。愛着心の否定的な部分が強くあらわれて、擬人化が過ぎるため生じてしまう獣医療トラブルともいえるでしょう。このようなトラブルは、仮に獣医師が適切な飼育方法を指導したとしても生じてくることがあり、その飼い主の持つ心理的傾向が大きく関与していることが伺われます。私が経験した典型的な獣医療事例に、子猫に手作り食だけを与えて黄色脂肪症とくる病を引き起こさせた飼い主の事例があります。この事例を基に詳しく考えてみようと思います。
この方は「ペットフードは防腐剤が入っているからだめ」とか「家族である子猫には私が作った食べ物を与えたい」といった信念を持っていました。ご存じのとおり猫はタウリンなどの必須栄養素が手作り食では不足しやすく、総合栄養食であるキャットフードの利用が妥当と一般的に考えられています。当院では病院にはじめて来た際にこのような猫の飼育方法の基本事項を説明するようにしていますが、この方は上記のような固定概念(偏見)によって、当院で紹介した飼育方法を無視して自家製のハンドメードフードだけを与え続け、ペットを病気にしてしまいました。自然志向やペットの家族化の影響で飼い主がペットを想うがあまりこのような信条を持つことはよくあることです。しかし手作り食での適切な給餌には、動物の栄養学に基づく知識が必要です。
偏見には前述したとおりAがPからの汚染を受けていることが考えられます。
自我状態Pは親などその人にとって重要な養育者の行動・考え方・価値観を取り入れて、3才頃から発達してくると考えられています。その過程において、親の考えを強要されるような親からの関わりが強すぎると、その人が自律的に考え行動する能力が育まれないため、Aの正常な発達が阻害されて、“親の価値観が正しい”という幼児決断によってAがPから汚染されている思考様式を持つに至ることがあります。このようにしてA-Pの汚染が発生してくると、Pの否定的な側面が行動を決定するようになることがあります。そして、この事例のように偏見で行動や考えを決めるようになることがあります。
本事例は言い換えれば、本当の意味で様々な情報を駆使し自分で判断して臨機応変にハンドメードフードだけで猫を飼育しようとしたわけではなく、A-P汚染の結果からこの方の親がこの方にしてきたことをそのまま受け取り、自分で勝手に正しいと判断してハンドメードフードだけで猫を飼育しようとした可能性があります。すなわち、今回の事例は、「私が考えたやり方は正しいからその通りやる」という親から与えられたA-Pの汚染の思考様式を持つことが関連して「家族であるペットの食事は手作りがいいに決まっている」との判断によって生じているA-P汚染の結果から生じている問題であると考えられます。
このA-Pの汚染がある人は、自分・相手・状況の領域で無意識のうちにディスカウントを行っています。この事例では「キャットフード」の存在をディスカウントしています(状況のディスカウント)。ペットフードに関しては、確かに防腐剤や人工添加物、ペットのアレルギー疾患への関与などの問題もありますが、その普及に応じてペットの平均寿命も延びてきたことから、ペットの健康を促進した側面もあると考えられます。現実的に考えると、ペットフードには良い面と悪い面が存在するということです。これがペットフードに対して現実的に導き出される結論であり、汚染のないAから判断される結論とではないかと思います。初めて来院したとき動物病院で説明を受けているこのペットフードに対する現実的な評価を、この方はディスカウントしたと考えられます。また、ペットである猫の存在をディスカウントしています(相手のディスカウント)。猫を家族と想い過ぎて、擬人化が過ぎて、食べるものまで人間と同じように考えて準備しようとしたと推察されます。これは、猫を猫という動物種の生態に合わせて飼うことをディスカウントしていると考えられます。そして、獣医師の言うこと(相手)をディスカウントし、さらに、獣医師から与えられたキャットフードの情報について判断する自分自身をディスカウントしています。
この方は、与えられた情報は、理由もなく正しくないと判断する傾向があることも考えられ、自身の固定観念によって現実検討の能力もゆがめられているのではないかと考えられる節があります。このように捉えると、この方は妄想的でもあり、自分の感情(C)のコントロール感を失っていることも想像され、A-Cの汚染も存在していることも推察されます。つまり、A-Pの汚染とA-Cの汚染が同時に起こっている複合汚染であることが考えられます。交流分析では、汚染はA-P、A-Cと単独で生じることはむしろまれで、どちらかの汚染がある場合、程度の差こそあれもう一方の汚染もある複合汚染が存在すると考えることが普通です。
ペットは飼い主のAの働きを抑制させる、また、パターナリズムの影響もAを抑制させると考えられることを説明しました。しかしこの方の場合、Aが抑制されているのではなく、Aがうまく働いていないという印象を抱かせます。それは、この方が、獣医師から「猫はキャットフード主体で飼育するように」と、キャットフードを与えないことで生じる問題を説明されているにもかかわらず行動の変化が見られなかったことからも支持されます。ペット飼育や獣医診療の影響でAが抑制的なだけであれば、この情報を聞いた時点で行動の変化が起こる、つまりAが刺激され活性化されるはずですが、この方はこの情報をディスカウントし無視してしまいました。そもそも外部からもたらされた情報を認識・整理して判断するというAの働きが働きにくい状態であったのかもしれません。このような経緯からこの方はAが抑制されているのではなく、Aが働かない状態にあったことも想像できます。
仮に、この方が日常的にAが働かず、汚染を持っている状態にあったとするならば、様々な生活場面や人間関係でうまくいかない経験を持っているなどのことも想像されてきます。もしそうであれば、ディスカウントのないストロークを与えてくれるペットとの関係がこの方に与えてくれていた“癒し”は、この方にとって非常に大きな意味を持っていることを想像することもできます。そしてますますペットに対してこの方の判断で良かれと思うことをA-Pの汚染の自我状態から施してしまうという結果をもたらすことも想像されてきます。
次に、エゴグラムの面から、そして、人生態度や心理ゲームの面からこの方について考えていこうと思います。自分で手作り食を作ろうと考えたことからNPの働きが認められ、「こうあるべき」といった固定概念を持つことからCPの働きは認められます。FCやACの働きについてはここだけの情報では評価できないでしょう。でも、「キャットフードを与える」という獣医師の指示を受け入れなかったことからACは抑制的であり、また認知の自由さを感じさせない極端な行動規制をしたこと(つまりキャットフードの給餌を完全に排除したこと)からFCが自由に活性化されない状況にあるかもしれないと考えられます。このことは、この方のCが働いていないCの除外も考慮でき、場合によっては、ペットにCを担わせ、共生関係を結んでいることも考えられます。
人生態度においては自身のもつ固定観念(信念)を行動に移しているところを評価すれば、この方は「自分はOK、他人はnot OK」の第三の立場の人生態度を有していることを示しています。よって排他的、支配的な傾向が想像されます。また第三の立場の人生態度をとるようになった経緯を考えるとき、もともと第二の立場「自分はnot OK、他人はOK」で抱いている劣等感を振り払うための自己防衛によって身につけた第三の立場の人生態度であることを交流分析的には考える必要もあります。Aが働いていない状態が想像されることから、ラケット行動や心理ゲームを仕掛けやすいことも考えられ、この方も獣医師もラケット感情を抱きやすいと考えられます。実際私も「猫のことも考えずに変なもの与えて、猫はかわいそうだな」といった心配・嫌悪感・敗北感のまじりあったラケット感情をこの方に対して抱きました。
固定信念のためペットを病気にしてしまう飼い主
このような事例に遭遇したとき、獣医師としてできることは、どのようなことでしょうか。獣医師は、単純に獣医診療を行うだけでなく、獣医師と飼い主の心の動きを交流分析の知識を用いて理解し、飼い主と獣医師の人生態度・幼児決断・人生脚本の俯瞰から、ディスカウントのないペット飼育の調整役としての役割を果たすことも期待される のではないかと述べました。そこでこの事例では次のような対応を行いました。
本事例に交流分析の知識を用いることで
①飼い主のAが働かない状態にあり、複合汚染(特にA-Pの汚染)が認められること
②飼い主が「自分はOK、他人はnot OK」の人生態度を有する可能性
③飼い主とのかかわりの中で生じた獣医師が抱いたラケット感情の意味
について理解することが出来ました。次にディスカウントのないペット飼育の調整役としての役割を果たすために、交流分析からの理解に基づいて、この方と相補交流で対話を持ちながら肯定的ストロークを用いてラポール形成を目指しました。ある程度のラポールが形成されたら、Aが働かない状態にある飼い主をAの自我状態に誘うための、飼い主のAに向けた交差交流を行ってゆきました。この際獣医師は「自分はOK、他人はOK」の人生態度から対話することが大切です。今回の事例では
「子猫、可愛がられているんですね(A→A)。家族と同じですもんね(A→A)。」
「飼い主さんの手作りでご飯をあげたい気持ちよくわかりますよ(A→C)。」
「でも、猫はキャットフードをあげないと栄養障害がおこるんですよね(A→A)。」
「だから、必ず総合栄養食のキャットフードをあげないと飼えないんですよ(P→A)。」
「今回の問題は飼い方の問題ですけど、まだ成長期なので飼い方である程度症状の改善が見込めると思います(A→A)。」
と獣医師のAからの表現とこの方のAに向けた表現で、自我状態をAに誘うような対話を心がけました。このとき、この方のAが汚染され、働いていない状態にあることを考えると、この方は同じような自身の偏見・固定観念にともなう過ちを繰り返すことが想像されます。つまり、今後も獣医師はこの方との交流の中で多くのラケット感情を抱く(心理ゲームに巻き込まれる)可能性があることを認識しながら、根気強くAに向けて対話してゆくことに迫られることを頭においておく必要があるでしょう。
この方は日常的にAが働かない状態であることが想像されることから、日々の生活において人間関係を損ねたり、重大な人生の選択を誤るなど、この方の人生において負の影響を受けている可能性もあります。もしこのように考えられるとおりであれば、この方は現実的に適切な人生選択が取れずに否定的な自己評価(その反動が「自分はOK、他人はnot OK」の人生態度かもしれません)や生きづらさを持つことに繋がってしまっているかもしれません。また、Cも除外されている可能性があり、ペットとの共生関係で自身のCを補っている可能性も考えられます。このような生きづらさに何とかバランスをとるためにペットを飼育しているのかもしれないと考えると、ペットの存在がいかにこの方にとって重要であるかが想像でき、ペットが与えてくれる肯定的ストロークがこの方がペットを飼育する動機に繋がっていることが想像できます。
動物病院としては、「自分も相手もOK」「他人は変えられない」ことを十分認識した立場から、交流分析的な俯瞰を基にこのような方と“繋がってゆく”ことで、飼い主に対してもペットに対しても「ディスカウントのないペット飼育の調整役」としての役割を果たすことができるのではないかと考えられます。
固定信念のためペットを病気にしてしまう飼い主